○甲斐姫物語 ”浪きり・風きり”◎



桜の花も満開の春がやってきました。 平成十九年 四月吉日


甲斐姫 武者修行の巻


 戦国時代に「北武蔵の大家(たいか) 成田様」と近隣諸豪族から一目おかれた 忍(おし)城主(現在の埼玉県行田市)成田氏長の娘、甲斐姫のお話です。

 弥生三月のある日、甲斐姫は、当時関東随一の名城 北条氏の小田原城を 見聞したいと、父氏長に願い出たのでした。氏長は、甲斐姫の武略を認めてはいたが、 そこは娘の一人旅は・・・と、心配し、家中第一の豪傑 矢沢玄蕃(げんば)と忍者の風魔源助に、お供を命じたのでした。
 甲斐姫は、総髪の元を後でいわえ、成田家伝来の名刀 ”浪切”(なみきり)を背負い、紅の陣羽織に 深編笠をかぶり、それぞれの者も武者修行の浪人者に扮装したのでした。
 一方の大熊のような矢沢玄蕃と比べれば、たいそう華奢な若侍(甲斐姫)ではありましたが、 まあ、そのいでたちは、男と見間違うほどのできばえではありました。

 甲斐姫一行は小田原目指して一路中仙道を南へ、上尾宿についた時、 なにやら宿場のはずれの一軒の小さな鍛冶屋を遠巻きにした黒山の人だかりに出会ったのです。 (鍛冶屋は、火を使う仕事の為、家並みから外れた一軒屋が普通)


 玄蕃が町人に「何事か?」と訪ねると、
「実は・・・荒くれ者の牢人三人衆が、呉服屋を強請(ゆす)り、金を巻き上げたまでは良かったが、 そこへ店のものからの知らせを受けた町役人がはせ参じ、牢人衆ともみ合いになり大暴れした挙句、 役人一人を一撃のもとに切り倒したが、牢人一人は取り押さえられ、 残りの二人は、逃げる途中で一人の幼子を人質にして、宿場のはずれの鍛冶屋に立て籠もり、 人質の幼子に刀を押し当て、近寄れば、 切るぞ!」と居直って、睨(にら)み合いとなったのでございます。」 ということだった。

宿場の町役人数十人も遠くから鍛冶屋を取り囲み、猛々しくこう叫んだのです。
「やいやい、そこな牢人ども、もはや蟻の這出る隙間もなし、命が惜しくば、 刀を置いて出てまいれ!! さもなくば、火攻め水攻め四方より一気呵成に攻め込むまで・・・・」

 牢人どもの頭目とおぼしき者が、言うには、
「もとより我らは、この荒れ果てし戦国の世を渡り歩く、命知らずの牢人者なり、 されど役人一人を切り倒したからには、このまま無事に済むこと、かなうまい。 我が首欲しくば、取りにこられよ!! かくなるうえは、死出の旅路の手土産に、一合戦つかまつらん。」
 その時、黒格子の隙間から一本の矢竹が、”しゅるしゅる”とのび、 木っ端役人の一人の腕を貫き、どっと倒れるのであった。
 とたんに町役人はおじ気づき、「ひけ、ひけ!」と、慌てて一町ほども後ずさるのであった。
 やがて、荷車を引っ張り出し、戸板を盾に、
「多勢に無勢である、いざ、踏み込もう!!!」という有様であった。
 さらには、人質になった幼子の母親は、
「娘をお助けくださいまし。なにとぞ娘をお助けくださいまし。」と、半狂乱となって泣き叫び、 さらに宿場は騒然となるのであった。
このままでは、自棄(やけ)になった浪人衆と、仲間を殺され浮き足だった町役人との間で、さらなる修羅場は必死の状況となるのだった。

 矢沢玄蕃は、一撃で倒された町役人の傷を確かめると、
「甲斐様、この太刀傷から察するに、牢人者は、なかなかの手の者とみえまするぞ。」
 甲斐姫も「うむ」と頷くと、町役人の頭に近づき、
「お役人殿、我らに任せられよ。」
 町役人は、見知らぬ者たちの申し出に、いぶかしげに答えるのだった。
「・・・お主らは、何者でござるか?」

「我らは、武者修行の旅の者でござる。日頃修めし兵法の腕試しに、この場を納めてしんぜよう。
このままあせって踏み込めば、 さらに双方が死体の山となるは必定。人質となりし娘の生死も危うくなり、 さらなる母親の嘆きを思うと不憫である。」
「何か・・・よほど良き計略が有るとみえるが・・・・」
「よき計略かどうかは、試してみずば分からぬが、力ずくよりは、ましでござろう。 さらには往きずりの旅の者なれば、万一しくじったとて、お役人殿の手落ちともならず、文句の言う相手も無しと思うが・・・」
「なるほど、それも尤もでござるな・・・・」


 甲斐姫は、何やら玄蕃等と相談すると
「誰か・・・、若い娘の着物を拝借したい。さらに、酒の入った一升徳利と握り飯を ざるに五六個も握ってもらいたい。」
「それから、お役人衆の手下の内より十人余りも、これなる矢沢にお貸し願いたい。 ただ矢沢の後に付きしたがっておれば良いのでござる。」



 宿場には、一陣の風が吹き・・・・・
 まず一番手は、矢沢玄蕃が、木っ端役人を従えて、鉄扇を片手に鍛冶屋の半町手前まで進み出でる・・・・と、 しゅるしゅると飛び来る矢竹を、蚊でも払うように鉄扇で バシッ!と、叩きおとすと・・・

玄蕃が、大音声にて、
「ご牢人衆に物申す、それがしは、忍城主 成田氏長が侍大将、矢沢玄蕃でござる。 さきほどの御役人を一撃に倒したお手並みは、おみごとでござった。 又、役人衆に取り囲まれても、堂々の物言いは、なかなかの武辺者とお見受けいたす。 朝も夕べもなき、時は戦国の世にござれば、武辺は戦場で披露するが武士の本懐でござろう。 それがしの家臣となれば命を助け、俸禄を与えて召抱えたいが・・・いかに・・・まずは、時を与えるによって、しかと分別いたせ!!」
 と、言うなり、役人の手下を後ろに控えさせて、道の真ん中に床几を据えて、どっかと座ったのである。
 牢人者の頭が答えて言うには、
「それがしは、元関東管領 上杉憲政が家臣 最上才蔵とその家来でござる。 越後に逃れた主家の没落により牢人の身となり、食うに困っての成れの果てにてござる。 武士としての最後の相手が、北武蔵の豪傑 矢沢玄蕃とあらば、相手にとって不足なし、討ち取って名を残したい。 いざ、攻め掛けられよ!」

 次に、甲斐姫が町の若娘に扮しての登場である。もとより女の身なれば、しゃなり、しゃなりと、 左手に一升徳利を提げ、右手には ざるに乗せた握り飯を持って、しゃなり、しゃなりと・・・・・

「最上様、頭に血が上っては、良き分別も出来かねましょう。まずは握り飯で腹ごしらえを・・・、酒もござれば、 酌などしてしんぜましょうぞ。 まさか、 ・・・女に怖気づく者は、おりますまいの・・・ほほほ・・・。 両手がふさがれては、戸も開けられぬ、まずは戸をあけてはくれまいか・・・」
 牢人の家来が、ガラゴロと、 戸を開けると、この隙に忍びの源助は、裏口から屋根裏へと忍びこんだのでした。


 さすがの荒くれ牢人衆も、飯と酒が出ては・・・・
 牢人の頭は、甲斐姫と弓矢の得意な家来に、
「おい、女、そこを動くな!!・・・ 何の謀(はかりごと)か、佐治郎!お主は、油断せずに、外の矢沢の動きを見張るのじゃ・・・」
 甲斐姫は、ざるを縁台に置くと、握り飯をひとつ持つと、牢人に向けて
「握り飯ぞ・・・ほうら・・・」と、投げたのでした。
 牢人は、それまで幼子の襟首を押さえていた左手をはなして、 握り飯を受けとったのである。
 さらに次に、握り飯をひとつ牢人の家来に向けて投げたのである。
「ほうら・・・」
 家来は、左手に弓を持っていたので、右手で受けると、むしゃむしゃとかぶり付いたのでした。
 ころあいはよし、甲斐姫は、にこっとすると一升徳利を牢人の少し手前に向けてなげるのである。
「酒はいかがか? ほうら・・・」
 牢人は、前のめりになりながら、二三歩前に、・・・
「あ・何をする、あぶない・・・!!」
 牢人は、右手に持った刀を捨てて、さらに前へ つんのめりながらやっとのことで、一升徳利を受け取ったのでした。
 その刹那! 甲斐姫は、目にも留まらぬ早業で、 牢人の懐(ふところ)に潜り込むと、どっと投げ捨て、腰紐で縛り上げたのでした。 さらに、牢人の家来も何が起こったのかもわからぬうちに、 天井から源助が飛び掛り、取り押さえられたのである。
 おかげで人質となっていた幼子は、怪我も無く助けられたのでした。

 最後に、甲斐姫が諭して言うには、
油断大敵! まさか、外の屈強な矢沢が囮(おとり)の敵で、 寸鉄帯びぬ、内なる ”わらわ”が、真(まこと)の敵とは思うまい・・・。  さらに、握り飯と徳利にて両の手を封じられ、素手の”わらわ”に内懐に打ち込まれては、いかなる鬼神も敵(かな)うまい。
 これぞ、無手勝流が兵法にて・・・真の剣は、殺生の為の殺人剣にあらず、人を生かす・・・まさしく”活人剣の極意”である。 最上殿、怖れ入ったか。  かくなるうえは、潔(いさぎよ)く、お役人の裁きを受けるべし。その後の生死のしだいは、”運武天武”である。 策略をもって抜け出すも良し・・・縁があったら又、会おうぞ!」

 牢人二人は、ただただ、”ぽか〜ん”と、茫然自失の有様でした。
 甲斐姫等が、捕縛した二人をつれて鍛冶屋を出ると、町中
「おみごと!!! やんや・やんや!!!」 の大喝采となったのでした。
 折りしも西空は、何事も無かったように真紅の夕日でありました。

 さても さても・・・めでたし、めでたし!!


 面白かった? このあとの、顛末やいかに・・・え! ・・・そのうち、つづく!




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