■ベラスケスの’たくらみ’○
(1)まえがき(大いなる矛盾)
この絵は、17世紀のスペインの天才画家 ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660)の‘ラス・メニーナス’(和訳・・・女官たち)である。
ベラスケスは、24歳の頃より、スペイン国王、フェリッペ4世に使えた宮廷画家である。
その当時、宮廷画家は、音楽や他の芸人同様にパトロンである国王の顔色を伺いながら、主には絶対服従の下僕でなければならなかった。国王は早くから、ベラスケスの画家としての才能を見抜き、ベラスケス以外には、自身の肖像画を決して描かせなかったという。ベラスケスも又、貧しい地方貴族の出身であったが、国王の期待に応え生涯、国王に忠勤を励み、晩年は画家でありながら、王宮配室長にまで上り詰め、宮廷内で確固たる地位を築いた野心家でもあった。
しかし、当時のスペインは、1640年にポルトガルがスペイン支配から独立したのをかわきりにイングランド、オランダ、フランス等に徐々に遅れをとり、それまで、南アメリカの植民地支配により繁栄を極めた「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペイン帝国は、徐々に没落の一途をたどりはじめるのであるが、フェリッペ4世は治世には目もくれず、ひたすら芸術や演劇、文学にのめりこんで行くのだった。
フェリッペ4世は、前妻を無くし子が無く、新たにオーストリアの同じハプスブルク家から王妃マリアナ・デ・アウストリアを妻として招いたのだった。この絵の主人公、当時5歳の王女マルガリータは、その一人娘、スペインの将来をその小さな体、一身に背負っていたのだった。
1656年に描かれたこの絵をよく見ていただきたい、中央には正面の誰か?に視線を向けた愛らしい、マルガリータ王女と左右にお世話係りが2人、後ろにはそっと寄り添う召使の男女。そして右端には、王女の遊び友達が・・・、一人は王女の引き立て役がその存在感を放ち、もう一人は忠誠心の象徴である犬を足蹴にし、犬はじっと目をつむって忍従の体。後ろの部屋の奥のドアの傍には、侍従が控えて、そっと室内を見守っている。実は、この侍従、この絵の中である重要な役目をになっている。今、まさにドアを開けてこの部屋に入ってきたのだろうか、さっと光がこの部屋の奥を照らした瞬間であり、「重要な役目」と言ったその意味はすぐに分かるのであるが・・・。又、見る者の視線の分散を止めるために、天井のシャンデリアは、すべてバサリと切り取っている。
王女マルガリータを中心に、ある日のスペイン宮廷の平和?なひと時を、スナップ写真のようにその一瞬を『パシャリ』と切り取って描いている。
そして、なんと画面の左には、巨大なキャンバスに向かい絵筆をふるう、ベラスケス自身がどうどうと描かれている。
以上、この絵の登場人物は、9人。と思いきや・・・良く見ると中央のさらに奥、透視図法によって描かれた、右上の天井と右下の床の延長線上、いわゆる消失点と重なる所、見る者の視線を自然といざなうその場所に、さっと淡い光に照らされたその刹那、鏡に浮かび上がった国王フェリッペ4世夫妻までが描かれているのである。なぜ鏡と分かるのか・・・それは、国王と王妃の立ち位置が、逆であるからなのだ。(当時、向かって国王は、左に。王妃は右にと立ち位置が決まっていたので、これは、鏡に映った国王夫妻なのである。)
ところで、実際の国王夫妻は、どこにいるのか?・・・
答えは、この絵を鑑賞する者と同じ場所に、同じ視線で ’見る者’と’見られる者’とが、時空を超えてオーバーラップして、たたずんでいるのである。その後、国王は、この絵をこよなく愛し、王宮の執務室に飾り、愛するマルガリータ王女と、いつでも「おしゃべり」をすることができたのであった。
・ ・ ・ まるで現実の世界であるかのように ・ ・ ・
「おはようマルガリータ、ごきげんいかが・・・」
「はい、おとうさま・・・」
「さあ〜、こっちへ おいで・・・」と、いう声が聞こえてきませんか?
つまりこの絵は、国王夫妻が、鑑賞者となることを前提にした絵であり、鏡に写った国王夫妻を描くことで、夫妻は永遠に、マラガリータ王女をそっと見守り続けているという構図となっている。このように、この絵の構成は、画面内にとどまらず、画面の外までも考え抜かれて、描かれているという、なんともかんとも複雑すぎるほどの構成で、もう頭痛がしてきそうなほどなのである。
この絵の主人公は、もちろん画面の中央にたたずみ、右からスポットライトのような光を浴びた 王女マルガリータであることは間違いないのであるが・・・。
そして、二番目の主人公は、・・・どう見てもこの絵の作者である ベラスケス自身なのである。当時、絵画の中で、自画像や画家自身が群集の片隅に紛れ込ませることはあっても、主人公の隣で堂々と描かれている絵画は、世界に一つ、これしかないのである。
ベラスケスの左胸には、赤い十字の文様(サンティアゴ騎士団紋章)が見え、誇らしげに堂々と胸を張っているように見える。宮廷画家として、フェリッペ4世から大いなる寵愛を受け、宮廷内で確固たる地位を築き、その証として許された赤い十字の文様、その自分の栄光を永遠に絵画に記録したかったのだろうか、宮廷画家ベラスケスの絶頂期であった。
それにしてもこの絵は巨大である。実物は、なんと縦3.18メートル、横2.76メートルで、現在、スペインのプラド美術館に収蔵されている。
ところで、ベラスケスは、なぜ自身を堂々とこの絵の中に描いたのだろうか? 又、良く描けたものだという疑問が沸いてくる。国王は、なぜ傲慢とも捉えかねないベラスケスの暴挙を許したのだろうか・・・? さらにこの絵は、巨大すぎる。この巨大な絵の意味(ねらい)は何なんだろうか? そして、ベラスケスに注目していただきたい、この絵のなかで、ベラスケスが描いている巨大な絵は、何の絵だろうか? 後ろに廻ってこの絵を見たら何が見えるのか・・・。
(たぶん■■■だよね!そう■■■だとするなら■■■は、○○○が無いということ・・・? メビウスの輪か・・・? )
さらに、最大の疑問、この絵は、論理的に誰が描いたのか? 宮廷画家ベラスケスは画面の中ではないか? これって、大いなる矛盾の構図・・・?
ついには、絵の中から、
「おまえに、この絵の秘密がわかるか? この絵に描かれた全てに、意味があるのだよ・・・私の ’たくらみ’がわかるか?」と、ニコリと笑ったベラスケスの声が聞こえてくるのである。(実際に、この絵には、まだまだ、多くの隠された秘密があるらしい。)
実際に、プラド美術館で、一たびこの絵を見た物は、この絵の中に取り込まれ、次々と押し寄せる疑問から、「底無し沼」のごとく生涯この絵の中から、抜け出すことは出来ないという。
この神秘と想像力に満ちた深淵の絵画は、まさに「魔性の絵画」なのである。私は想像するだけで十分。むしろ怖くて実物は見たくないほどなのである。
(2)ベラスケスのたくらみ
ここは、マドリード宮殿の一室、ベラスケスは、国王フェリッペ4世のお気に入りの役人ディエゴ・デ・アセードにこう切り出すのだった。
「アセード聞いてくれ、私には、描きたい絵があるのだ。もう十年越しであろうか、ずうっとあたためているある絵の構成があるのだ。この絵は傑作なのだ、私ももう歳だ、画家としての集大成として、どうしても一生のうちに描いてみたいのだ。」
「君は、国王陛下の寵愛を受けた宮廷画家ではないか? 描きたい物なら、私に相談するまでもなく描けばよいのではないか?」
「それが、そうではないのだ、この絵は、国王陛下の怒りをかうかもしれないのだ、だから事前にあなたに相談しているのだ。」
「国王陛下の怒りをかうかもしれない絵だって、君は、何を考えているのだね・・・? 下絵はあるのか・・・私にその絵を見せてみろ・・・勿論秘密だ、誰にもしゃべりはしない。
ベラスケスあなたは、私のような、体の不自由な者にも分け隔てなく、接してくれる。君が私だけでなく、身分が低く障害者のセバスチャンやフランシスコのような日陰者の絵をたくさん描いているのも知っているし、そのすばらしい絵も見せてもらった。
君のそのやさしいまなざしで捉えらえた下々の者の絵は、尊敬と自愛に満ち、描かれた者の怒りや悲しみ、心の内面までもがにじみ出るほどだ。まさに、国王陛下の肖像画よりも、きらきらと輝いて’すばらしい’の一言だよ。君の才能は誰もが知っている。その君が、国王陛下の怒りをかうかもしれない絵だって、是非、私に見せてくれたまえ。私たちは、もう友達ではないか・・・。」
「本当に秘密を守ってくれるね、アセード、実は・・・これなんだ・・・。」
ベラスケスは、ふところから一枚の紙片を取り出すのだった。
「絵の中には、・・・一人の●●が絵を描いている。その中の●●の絵の中に、又一人の●●が絵を描いている・・・。分かるかい、この絵には、○○○がないのだよ・・・。まだ、頭の中の私のイメージなのだ、実際の描き方は、いろいろあるのだが、とにかく、君には、まず私の狙いだけでもわかってほしのだよ。」
「なるほど、○○○の無い絵か・・・? 面白いではないか、ただし君が言うとおり、●●が●●の絵を描くのか・・・? 国王陛下は、なんとおっしゃるかな? この身の程知らずが!と、お怒りになるかも知れない。 この絵の実現には、もうひと工夫も、ふた工夫も必要かもしれないな・・・。」
「さすがに、君はものわかりが早い。私もそう思うのだよ。実際この絵の仕掛けは、見る者に想像させようと思う・・・。見る人によってこの●●の描く絵がなにか、自由に想像してもらおう。その為には後ろからではなく、正面からの絵にしようと思うのだ。」
ベラスケスは、ふところから二枚目の紙片を取り出すのだった。
「もう一枚見てくれ。 いろいろ考えたんだが、王女様を中心にした絵にしようかと思う。国王陛下は、王女様の絵なら大目にみてくれるかもしれないからね。」
「なるほど、君の慎重さには敬服するよ。図案はできているではないか。・・・わかったよ君の狙いは面白い! そうだ、■■■の鑑賞者が■■■の●●になってもいいんじゃないか・・・。
う〜ん・・・ たしかにおもしろいね!・・・
そうだな、それと、王妃さまも味方にすることだ、王妃様は、オーストリアからいらして、お寂しいだろう、君の絵で心をお慰みして差し上げるのだ。それと国王陛下にもこの絵の仕掛けの立て役者になって頂くことだ。それを国王陛下に発見させてはどうだ。とにかく、この絵は、国王陛下の顔色を伺いながら、一歩ずつ進めることだ。決してあせってはいけないよ。慎重に、慎重に。私も君に協力しよう。」
「ありがとう! アセード!」
ベラスケスはアセードの部屋を出て行くと、手帳を取り出しながら、一人こうつぶやくのだった。
「これで味方は、5人目か、私の計画も、もう一息だな・・・。
ポルトガルに神のご加護を!!!」
(注)1.ことわるまでも無く、ラストシーンは、だいぶ脚色しました。(ベラスケスの名誉のために・・・)
(注)2.ベラスケスが描いている絵は、すなおに目の前にいる国王夫妻だという説が有力です。国王夫妻の絵を描いている所へ、マルガリータ達が、遊びに来たところを客観的に、描いた・・・?う〜ん・・・。但し、それらしき国王夫妻の絵は現存しません。
(注)3.「美の巨人たち」で、鏡に写ったマルガリータ達をベラスケスが描いているのだが、絵の中の鏡に写った国王夫妻は、どこにいるのか? 迷宮の絵画だと、解説していた。う〜ん・・・これは、最悪の解釈かな・・・。
この絵の一番面白いところは、画家であるベラスケスは、本来この絵の外にいるはずの人で、反対に、この絵の中心にいるはずの国王夫妻が、この絵の外にいて、絵の中の鏡に写り込むことで、この絵に、取り込まれているということなのである。・・・なぜ?だろう。
さらに、さらに、この絵の謎を追求していくと、最後に、国王フェリッペ4世が、この絵を王宮の執務室に飾り、この絵をこよなく愛した理由に思い至るのである。
この絵から10年後の、1666年、わずか15歳のマルガリータ王女は、同じハプスブルグ家で母方の実家であり、幼い頃よりの婚約者であるオーストリアの王子、11歳年上のレオポルト1世に嫁ぐのである。
結婚の6年前、すでにベラスケスはこの世に無く、父であるフェリッペ4世も同じく1年前に、この世を去った後であった。喪の明けるのを待ちかねたように、あわただしく15歳のマルガリータ王女は、ラス・メニーナス(女官たち)をお供につれて、スペインを後にするのだった。まさに、スペイン帝国の未来を背負った、政略結婚そのものであった。マルガリータ王女が幼かったことが唯一の救いだったのかも知れないが、この絵が描かれたころより、フェリッペ4世には、マルガリータ王女とラス・メニーナスの将来が見えていたのかも、この絵からあふれ出るものは、この絵の外から、そっと我が子を見守る親子の情愛であり、国王夫妻の心痛のほどが察せられるのである。
ところで、実像と虚像とは、なんだろうか? あるいは、真実とはなにか・・・・?
「君たちは、自分の目で見える世界を実像あるいは真実の世界だと信じていないだろうか?反対に絵画の世界は、虚像あるいは偽りの世界だと思い込んでいないだろうか。・・・はたして真実の世界とは、どこにあるのだろうか・・・?」というベラスケスの問いかけが聞こえてこないだろうか?
そこで、もう一度この絵を見ると、・・・見えてくるのである。
そして、最後に残る最大の疑問・・・、なぜ、ベラスケスは、この絵に画家自身を描いたのか・・・??? ベラスケスの本当の’たくらみ’が、・・・分かりますか???
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