■○ フェルメールの”しかけ”○■





あなたは誰?・・・そして、あなたは何者?

 この絵は、17世紀のオランダの小さな港町 デルフトの風俗画家 ヨハネス・フェルメール(1632〜1675)の『真珠の耳飾の少女』 別名『青いターバンの少女』である。
 ヨハネス・フェルメールは、スペインの ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660)とほぼ同時代の画家である。
 1665年に描かれたこの2つの名前を持つ名画は、どちらのタイトルも捨てがたいのであるが、私としては、とりあえず『真珠の耳飾の少女』で話をすすめたい。

 当時のオランダは、大航海時代も終わろうかという頃。それまで、海外貿易によりアジアのセイロンや南アメリカに植民地を広げて、日本とも、長崎の出島を窓口に交易をしていた頃が、”オランダ海上帝国”とよばれた黄金時代であった。1648年スペインから独立し、古い封建体制から新しく共和制国家となり、商工業者中心の国へと変貌していくのである。その後、遠方の海外植民地の維持費の増加や、1654年 英蘭戦争による敗北から、オランダの植民地は、徐々にイギリスに奪われていき、ナポレオン戦争以後、その覇権は消滅し、没落の道をたどることになるのである。そんな現実問題は、市民には、少し遅れて伝わるので、オランダ黄金時代のぎりぎりの頃に描かれたということであろうか・・・。


 まず、もう一度、この『真珠の耳飾の少女』をご覧頂きたい。

 突然に、背後の誰かの視線を感じたのであろうか、今、まさに、ぱっと後ろを振り返ったその瞬間であろう。 たまご型の顔をちょっと傾け、少女の瞳はキラリと輝き、リップクリームを塗ったような、みずみずしいふっくらとした赤い唇から、何か言葉を発しているのか、ちょっと開いた口、鼻、目、この青いターバン、頭の黄色い布、下に下がって、白い襟、そして、絵の代名詞・白い真珠の耳飾が視線の終着点となるのである。
 全体的にこの絵の印象は、キラリとした少女の一瞬の輝きを、そのまま絵画の中に、封じ込めたかのようだ。 見る者は皆、少女の眼差しに戸惑い、こちらもハッと息を呑んで、その場に立ち尽くしてしまう。
 少女と対照的なのが、宝石であり、真珠の耳飾の永遠の輝きとが、対となっているようだ。換言すると、少女の生命の一瞬の輝きと、宝石の永遠の輝き、”生命””物体””一瞬””永遠”との対比であり、この二つが共鳴しあっていると同時に、それぞれ二つに共通しているものは、”輝き””光”であるようだ。このように、フェルメールの巧みな”しかけ”が幾重にも折り重なっている。

 さらに、よく見るとこの真珠の耳飾、意外と大きく、少女の持ち物としは、少々不釣合いな物のような気がする。 加えて、この真珠の耳飾り、左からのスポットライトのような光では、顎から頬のラインの影となってしまい、白く反射するには、ちょっと無理があるようにも見えるのだが、・・・さらに、フェルメールは、白い襟との反射の輝きとして、”白い光”をも描いている。フェルメール作品の特徴は、その他の作品でも、このような白い光で、光の反射を表現していて、後の印象派にもヒントを与えたと言われている。
 ところで、この少女は、いったい誰なのだろうか? フェルメールの娘のひとりマリアなのか、お手伝いさんの○○なのか・・・はたまた・・・○○なのか?

 この絵の構成のポイントは、ぐるぐると小さな円を描きながら、そして、大きく ぐるりと時計回りに、ゆるやかに、そして軽やかに、巻貝のラインをなぞるように、自然に見る者の視線を螺旋状にリードしていく。 その滑らかな曲線と全体のバランスは、絶妙、完璧、一分の隙も無い、まさにバッチシの構図! ケチの付けようが無いのである。背景を黒にした為か、少女は手前に浮き上がり、見る者の目の前に迫ってくるようで、少女の吐息や体温まで、伝わってきそうだ。全体的に、よけいな視線の迷いはなく単純明快で、シャープで、実に”心地よい”のである。


 ちなみに、この絵に使われた色は、背景の黒赤い唇青いターバン黄色い布白い襟元と真珠の耳飾、概ねこの5色なのである。
 その中でも、ひときわ鮮やかなのは、ウルトラマリンブルーの青いターバンである。
 この青は、ラピスラズリ。トルコ石とともに12月の誕生石で、知性と直観力、インスピレーションの石なのである。ウルトラマリンブルーのウルトラとは、ウルトラマンと同じウルトラ(青を超えた青)と思っていたのですが、ウルトラマリンブルーとは、「遠く海を越えてきた青」の意味で、ラピスラズリはアフガニスタンでしか産出せず、遠くペルシャからベネチアを経由して、オランダ商船に乗って、海を越えてきた「青」で、同量の金と交換されたほど大変高価な顔料であったようだ。

 もともとターバンは、キリスト教徒と戦ったオスマントルコの男性が頭に巻いていたもので、もちろんオランダ人が(男女とも)ターバンを巻く習慣は無かったのです。空間の遠近法を追求したフェルメールは、さらに遠い世界の広がり、地理的遠近をも、この絵に表現していたということなのだ。なるほどそれで、この少女は、ペルシャから海を越えてきたラピスラズリの"青い少女のイメージ"ということなのか!? 

 もう一つの6月の誕生石である真珠の耳飾は、少女には不釣合いな高価なもののように思える。真珠は別名「月のしずく」とも呼ばれ、悪霊から身を守り、邪気を払うパワーがあるとされており、少女を悪霊から守護する役目を担っているのであろう。そこに、フェルメールのこの少女に対する『強い想い』が隠されているように思えるのである。

 この絵の中に、12月と6月の誕生石を隠したのは、暦(永遠の時)の暗示であろうか、振り返り様の一瞬=ストップモーションを描いたはずのこの絵は、実は、永遠の時を刻む暦をも暗示していたのである。
 また、フェルメールは、オランダと生まれ育ったデルフトの町を愛していたのだろう。なぜならフェルメールの故郷、デルフトには、『オランダの真珠』という意味があり、デルフトと真珠には、掛詞のように繋がっている。このようにフェルメールのさまざまな”しかけ”は、この絵の中、白い光の泡のように、いたるところに散りばめられ、巧みに隠されている。

 フェルメールの描いた現存する絵画は、全部で三十数点である。特に有名なのは『牛乳を注ぐ女』 『絵画芸術』 『レースを編む女』などであるが、いずれも伏目がちの女性ばかりであり、この作品はおそらく唯一、キラリと瞳を輝かせて、正面をはっきりと見据えた女性を描いている。ゆえに余計にこの絵の女性に、強い意志が見えるのである。

 一見、寡黙で、静謐(せいひつ)なる肖像画、みずみずしく、エキゾチックで美しい。しかし、この『真珠の耳飾の少女』は、誰かに何かを訴えかけているようにも見える。その言葉はいったい何であろうか?

 この絵を見るものは皆、この少女の視線に、たじろぎながらも、少女に向かって、
「あなたは誰?・・・そして、あなたは何者? どこから来たの?・・・そして、私に何が言いたいの?」と問い返えさずにはいられないのである。


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