〇盲目の子ギツネとその母キツネ★
盲目の子ギツネとその母キツネ
序章(1)
むかし、むかし、武蔵は忍の国に盲目の子ギツネとその母キツネが仲良く暮らしておった。
子ギツネも母キツネも年々年を取っていく。目の見える母キツネには、それがわかっても、盲目の子ギツネには、それを理解することが出来なかった。母キツネはやがて腰も曲がり、足を引きずり杖もついた。ついには、ところどころ毛も抜け落ちて、誰の目からも年老いていくのが明らかだった。しかし不思議なことに母キツネの声はいつまでも美しく、若いままの優しい声だった。
一方、盲目の子ギツネは、いつまでも子供だった。一日中母キツネに寄り添い、まとわりついて、けっして離れることは無かった。
そんな子ギツネを憐れんで、母キツネは誰よりも可愛がった。
しかし、盲目の子ギツネも、やがて大人になり、大きなふさふさの尻尾を持つ、たくましいりっぱな若者となった。 目の見える母キツネには、それがわかっても、盲目の子ギツネには、それを理解することが出来なかった。
ある日の事だった。立派なお屋敷の裏山に柿の実が真っ赤に熟れる頃、盲目の子ギツネは、裏山のおいしい柿の実が食べたいと言った。
しかし、母キツネは、裏山には人間がいるから嫌だと言った。しかし、盲目の子ギツネは、おいしい柿の実が食べたくて、どうしても行きたいと言ってきかなかった。しかたなく母キツネは、杖を突き足を引きずりながら、盲目の子ギツネを連れて、この裏山に登るのだった。
『あ、キツネだ! これを射とめたら、皆びっくりするぞ!』
若侍はおもむろに弓に矢をつがえると、きりきりと弓を引き絞った。
”やあ!”
序章(2)
時は戦国の世、武蔵は忍の国に成田長泰という殿様がおった。幾多の合戦に及び、身体中に十数本の刀傷が自慢の豪傑であったが、年老いて家督を息子の氏長に譲ると出家して、蘆伯斎(ろはくさい)と号して隠居の身となり、城内の裏山にあばら家を建て住まいとなした。庭の畑を耕して野菜を作り、朝な夕なに写経をし、昼間は、漢詩や和歌を詠み、晴耕雨読の余生を送るのであった。
ところが、その年の柿の実が真っ赤に熟れる頃、異変は起こるのである。それは蘆伯斎が夜寝ていると、天井の梁が落ちてきたような錯覚に襲われ、突然金縛りに合うことから始まるのである。それも日をおうごとにエスカレートして行き、夜中に、うめき声をあげ、大汗をかきながら、のたうち廻る夜が続くのであった。
女中のお仲によれば、・・・ある夜、寝所になにやら得体のしれぬ真っ黒な魔物を見るのであった。咄嗟に、なげしに掛かる薙刀を取ると、右に左に魔物目掛けて切りつけたのであったが、お仲に気づいた魔物は、ひらりひらりと身をかわすと、突然ぱっと消えて見えなくなると、一陣の風だけが部屋から廊下に飛び出し、いずかたともなく走り去ったというのである。
これは一大事と、主だった家臣を集めて評定となるのである。
まず集まったのは、軍略に優れた蘆伯斎の孫娘の甲斐姫、剛力無双の矢沢玄蕃、忍者の風魔源助その他、矢沢の家来10名程であった。
首領格の甲斐姫は、ぐるりと周りを見渡すと、静かに口火をきるのである。
『まずは、敵を知る事が肝要、じじ様、この魔物に何か心当りはございませぬか?』
蘆伯斎は、しわくちゃの口をへの字に曲げ、腕を組ながら言うには、
『う〜ん。想えば、我が生涯は十六歳の初陣以来、よわい六十に至るまで、合戦に次ぐ合戦の連続であった。やむを得ぬ仕儀とは申せ、戦で幾多の人を殺めた事は確かである。いや無益な戦もあったやもしれぬ。人から怨みをかうこともあったであろう。されど、されどな、此度の魔物であるが、どうも人の怨みのような気がせぬのじゃ、なにやら獣の匂いがしたが・・・、その匂いが何であったかどうしても思い出せぬのじゃ・・・、どうも犬猫では無いのじゃ。』
甲斐姫が続いて、
『魔物かもののけか?いずれにせよ事の次第から、刀や槍では容易には治まらんかもしれぬ。誰か、何か申したき者は おるか?』
しばしの沈黙のあと、矢沢が答えて言うには、
『こういう事は、お寺の住職に相談するのが宜しかろう。熊谷寺の御坊は長年比叡山で真言密教の修行を積んだ高僧と聞く。我が家は檀家でもあり、拙者が行って相談して参ろうか?』
続いて忍者の風魔も答えて、
『恐れながら申し上げます。魔物は、古来より弓の弦の音が苦手と聞きおよびます、下忍村の吉田殿は、京の都で、小笠原流弓術の奥義を極めた達人と聞く、魔物退治の秘技を知っておるやもしれませぬ。それがし訪ねて参りましょうか?』
甲斐姫、うんうんとうなずくと、
『成る程両人とも尤もである。二人に任す。さっそく、わらわが添え状をしたためるによって、急ぎ向かってはくれぬか。』
『は、は〜、これは、姫様の添え状とは有難い。必ずや!今晩、連れて参りましょう。』
と両名が答えるのであった。
夕方になると矢沢が熊谷寺の住職を連れて戻るのだった。
蘆伯斎と甲斐姫の前にかしこまった住職がたいそう自信ありげに申すには、
『拙僧が真言密教の法力をもって、悪霊を鎮め参らそうと思う。南無大師遍照金剛! まずは一番手は拙僧にお任せあれ・・・! な〜に、たやすいことでござるは・・・!』
しばらく遅れて、腰の曲がった痩せた白髪の老人が、一人杖を付いて現れた。
蘆伯斎は、遠くからじっと老人の顔を見ていたが、突然、はっとした表情で、
『おお!、そなたは源右衛門、思い出したは、吉田源右衛門ではないか、息災であったか久しぶりであるのう。』
源右衛門は蘆伯斎が若侍の頃の、弓術の指南役であった。
『大殿様、お久しゅうござる。あの頃の・・・若侍の頃が懐かしゅうござる。』
矢沢が大きな目でじろりと睨むと、低い声で、
『源右衛門殿、お主、腹を切りに参ったのではあるまいな。幾ら弓術の達人とは申せ、腰の曲がったご老体に果たして、弓が引けようか、伜殿は居られぬのか? もしや伜殿、此度の大役に怖じ気付いてお主が身代りに、腹を切りにまいられたな、それが証拠に弓を持たずに、手ぶらでござるぞ?』
『ははは、矢沢様、年寄りを侮っては成りませぬぞ。まだまだ若い者には負けませぬぞ。弓はおいおい届きましょう。』
『いや、いや、これは、したり・・・』
甲斐姫も微笑んで曰く
『源右衛門、矢沢をお許しあれ、う〜む、なるほど源右衛門には、何か計略が有るようじゃ。源助が戻らぬのが何よりの証拠…。これは面白くなった。皆の者、今宵は何としても 魔物は我等で退治いたそうぞ。
それでは、合戦の前に月見もかねて、まずは、一献と参ろうか。今夜は仲秋の名月、魔物の力も最大となろう。しかし、そのような時こそ、得てして敵にも油断が生じよう。わらわにも秘策有りじゃ。皆々、覚悟は、良いか? それぞれ日ごろの精進の成果を試す時である。持てる力を尽くして・・・いざ、決戦に及ばん!!』
”おう!”
『甲斐姫様、拙僧は坊主でござるぞ、坊主に”いざ決戦!”と言われても…』
蘆伯斎も続いて、
『ワッハッハ、わしも久しぶりに笑ったわ、今宵、魔物に取り殺されようが、本望である!』
ちょうどその頃、忍者の源助が、下総の香取神宮から、平将門を打ち破った藤原秀郷が奉納した重藤の弓と、鏑矢(かぶらや)を持って帰るのであった。
『これが、名高き、藤原秀郷公の強弓でござるか?』
さっそく、力自慢の矢沢が、ちょっと拝借と、弓を借りると、力まかせに弓を引くのであるが、肩より先には、どうしても引けぬのであった。矢沢の家来たちも次々と弓を引くのであるが、誰一人引ける者は無いのである。
『さすがに強弓でござるな、いや待てよ、源右衛門殿、お主この弓、誠に引けるのでござるか・・・?』
源右衛門は、落ち着いて、
『矢沢様、射法の極意は、弓を射ずして骨を射ることにござる。 力ずくでは、秀郷公の強弓は、引けぬものにございます。 その前に矢沢様、・・・この弓が、秀郷公の強弓と知って、しくじるまいと歯をくいしばり身構えましたな。 いざ身構えては、たとえ強弓でなくとも引けぬものにございます。 矢沢様なら、初めに秀郷公の御弓と知らずに、平常心でこの弓を引いたなら、たやすく引いたでありましょう。 弓とは、そういうものにござるよ。』
『なるほど、身構えたか?・・・道理でござるな。剣の道にも通じることでござる。刀は力んでは振れぬもの、力は丹田に落とし肩の力を抜くと、自由自在に振れるものでござる。』
『弓もおなじでござるよ。』
『なるほど・・・』
と、矢沢は、感心するのであった。が、矢沢の家来の一人が・・・
『源右衛門殿、講釈は、承った。ものは試し、この弓・・・今ここで、引いて見せてくださらぬか?』
『お主達は、この年寄りに、弓が引けようかと、初めから疑っておろう。それでは、なおのこと簡単には、披露できぬな。ワッハッハ! いざという時を楽しみになされよ。』
『おう、ワッハッハ!』
その後も、皆々和やかに打合せをかねた酒宴は進むのであった。夜も更けると外からホーホーと梟の声、頃合いはよし、皆々顔を見合わすと、甲斐姫が小さくうなずく。それ!とばかりに銘々、身支度に取りかかる。
矢沢達は、鎖帷子に手甲、脚絆を身に着ける。甲斐姫も朱色の着物に袴を履き襷をかけ、成田家伝来の名刀‘浪切’を腰に下げる。それぞれ身支度を整えると、甲斐姫が扇子を振って『散れ!』の合図。
蘆伯斎も、にこにこしながら、
『皆々、頼むぞ、それでは・・・!』
と、いつもの通り、布団に入る。
次に矢沢は、打合せのとおり、家臣数名を縁側より四方の床下へ身を潜めさせると、自身は縁側の端にどんと胡座をかき、気配を消す為に頭から布団を被り座禅を組むのだった。
甲斐姫は、薙刀を小脇に抱えたお仲を従え、源右衛門と御坊を連れて、寝所の隣の小部屋に入り、床机に座ると、懐紙を噛んで、じっと息を潜めた。
この続きを見たい方は・・・こちらへ・・・
面白くないので、ミステリー編メニューに戻る