♪浦島太郎の真実2!?♪
浦島太郎の真実2
1、♪♪♪♪
昔昔、浦島は
助けた亀につれ連れられて、龍宮城へ来て見れば、
絵にもかけない美しさ。
2、
乙姫様の御馳走に、鯛やヒラメの舞踊り、
ただ珍しくおもしろく、
月日のたつのも夢の中。
3、
遊びにあきて気がついて、
お暇乞いもそこそこに、帰る途中の楽しみは、
土産にもらった玉手箱。
4、
帰って見れば、こは如何に、
元いた家も村も無く、道に行きあう人々は、
顔も知らない者ばかり。
5、
心細さにふたとれば、
あけて悔しき玉手箱、
中からぱっと白煙、たちまち太郎はお爺さん。♪♪♪♪
浦島太郎の物語の原点に立って、もう一度、この”おとぎばなし”を見つめなおしてみたい。
実は、浦島太郎は、亀を助けたお礼に、乙姫様から”不老不死”というご褒美を得て、大いに喜んだのだった。
しかし、母親に人目会いたいと、望みどおりに故郷に帰っては来たものの、既に母はおろか兄弟も友人も知り合いさえも、この世になく、一人絶望の淵に突き落とされる。
『あれほど望んだ”不老不死”とは、何だったのか? いったい何の意味があったのか? 』と思い悩んだあげく・・・
この世に一人取り残される”不老不死”とは結局、虚しいものであり、この虚しさに比べれば、死さえも恐れるほどのものでない…と悟った時、浦島太郎は、ついに、”時間という宝物”がぎっしり詰まった玉手箱を開けてしまうのだった。
たとえ、その結果として、何が起こるか分かっていたとしても……。
”時間という宝物”は、白煙となって浦島太郎を包み込むと、たちまち太郎は白髪の老人となってしまう。
結局、”時間という宝物”は、”老い”という”悲しみ”を一時(いっとき)は与えはしたが、時間は万物に平等で無限に降り注ぐのである。
一方人間にとっての時間は、有限であり、身分の上下、富貴の差にかかわらず、いかなる者も時間に逆らうことはできない……”有限”=”終り”があるということを知るのである。
・・・天と地、神と自然、無限と有限、始まりと終わり・・・
逆に”有限”であるからこそ”時間”はまさに宝物であり、ついには、人に安寧を与えるのか? 浦島太郎は、ここで初めて”有限に隠された真の喜び”を手に入れるのだった。
なるほど、浦島太郎物語の謎の答え、真実は、ここにあったのか?…
『おう! ○○ちゃん、元気? 久しぶり! どうだい調子は……?』
自分もこれに気がついた時が、”時間という宝物”の詰まった玉手箱を開けた時だったのだろうか? 人はいつか、心の片隅に取り残された玉手箱を開ける日が来るということなのか?…………というストーリーは、どうかな…?
なんとなく意味がわかったよ! 浦島太郎の物語は、子供向けの”おとぎ話”なんかじゃ無かったんだよね!
最後に一言、龍宮城って何? 龍宮城って多分、りゅうぐう⇒りゅうきゅう……琉球……琉球城……ですよ。龍宮とは、沖縄のことですよね。
これで、THE ENDかな?
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