◆とりちがい連続 殺鳥事件◆




とりちがい連続 殺鳥事件


エピローグ
 カッコウという鳥をご存知だろうか? カッコウは、不思議な習性をもっている。
 自分で巣を作らず、ホオジロ、おおよしきり、オナガなどのほかの鳥の巣に、断りも無く勝手に卵を産んで、その鳥に卵を温めてもらい、雛(ひな)を育ててもらう。これを托卵(たくらん)という。
 さらにカッコウの雛も、仮の親に育ててもらいながらも、他の義兄弟達をヨイショヨイショと背中で押し出して、巣の外に落とし、育ての親を独占してしまう。結果として、ホオジロは、自分の子供の敵(かたき)であるカッコウの子を本能のままに、一所懸命に育てることになる。
 そんな”恩を仇で返す” カッコウに対して、”ずるい!””ずるがしこい!””性悪!””悪逆非道!”と、罵声をあびせても、”言い過ぎ”ということは無い。

 仮親より大きいカッコウの子に餌を与える、おおよしきり

 もちろん、カッコウとて昔は、自分で巣を作り、卵を温めて、雛がかえると、せっせと餌を運んで子育てをする、ごく普通の鳥だった。それが一体どうしたことだろう。何があったというのか?
 カッコウにしてみれば、生き残る手段として、身につけた習性であるので、それが悪いことだとは、思っていない。自分が身につけた、カッコウにとって”あたり前の生き方”が、『実は、知らないうちに他人に迷惑をかけたり、結果的に他人?を苦しませ、傷つかせる。』という構図になっている。

 あれ? どこぞの世界にもありそうな…話だぞ………?

 その原因は…なんだったんだろう? ある日、カッコウの身の上に”何か?”が起こった…? その”何か?”(事件?)によって、その後のカッコウの歴史が変わり、何もかもが狂ってしまったということなのだろうか?

 一方、ホオジロにしてみれば、なんのメリットも無く、まったく迷惑な話である。 せっせと、よその鳥の雛に餌を運びながら、途中で自分の雛で無いことに気が付いたとしても、カッコウのひときわ大きな真っ黄色な口を見、ピーピーという雛の鳴き声を聞いてしまった以上、母性本能によって、途中で育児放棄することは、出来ないのだ。
 但し、2回目以降は、そうは簡単にはことは運ばない。卵を託されるホオジロもやられっぱなしということは無いのだ。巣の中の卵の数が増えたり、違う柄の卵があれば、生まれる前に容赦なく、カッコウの卵を巣の外へと摘まみ出して捨ててしまう。ホオジロも学習し、生きるために必死なのだ。

 そこでカッコウも又、考えた。次は、卵を一つ産んだら、ホオジロの卵を一つ捨てる。2つ産んだら2つ捨てる。決して捨て過ぎない。捨てすぎると怪しまれてバレてしまい、ホオジロに巣自体を見捨てられてしまう。  又、ホオジロの卵の色や柄にそっくりな卵を産むカッコウも現れる。

 ホオジロに育てられたカッコウの子は、初めに見たホオジロが実の親だとインプットされる。その為、大人になると、ホオジロの巣に卵を産むことになる。仮にオナガに育てられたカッコウは、オナガの巣に卵を産むことになる。最近の研究では、オナガに托卵しだしたのは、ここ20年〜30年内のごく最近のことらしい。ホオジロからオナガにターゲットを変えつつあるということなのだろうか?こんな際限の無い”戦い”を行きつ戻りつしながら(失敗と成功を何度もくりかえしながら)長い間、ずっ〜と繰り返してきたのだ。

 面白いのは、この托卵という習性、効率は決して良くない。それが証拠に森の中は、思うほどカッコウだらけにはならない。つまり、それほど失敗が多いということだ。おそらく、最初は、大成功だったのだろう。最初は爆発的に大ヒットしたが、その後、ホオジロなどに対抗手段をとられて、挽回されたということなのだろうか?
 
 以上のごとく、カッコウは、”普通の鳥”の道を捨ててしまった。 一度(ひとたび)、その方向へ進んでしまった以上、もう二度とカッコウは、もとの”普通の鳥”には戻れない。
 これからもカッコウとホオジロの攻防戦は、続くのだろう。但し、カッコウの完全勝利はありえない。次の繁殖の道が途絶えてしまうのだから……。
 かといって、種の保存の為には、敗北は許されない。”勝利をすれば、すなわち即敗北。勝利も無く、敗北も無い、永遠に終わりの無いメビウスの輪の世界であり、自然界の絶妙なバランスの中に、その身をゆだねていかなければならない宿命”。……ということなのか?

 あるいは、……”普通の鳥”へと後戻り出来ないカッコウは、誰になんと言われ、なんと思われようが、ひたすら”悪の道”を前へ前へと歩まねばならない。そんな、カッコウこそ、”悲しい十字架を背負い運命に翻弄された犠牲者” だったということなのだろうか?

 ……真実はいったいどこにあるのだろうか……?




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