●●河豚と蛙の相撲図の秘密○◎
平成25年5月5日、府中美術館 ”かわいい江戸絵画展”
に、娘と行ってきました。この絵は、伊藤若冲の『河豚と蛙の相撲図』である。愛嬌たっぷりの河豚と蛙・・・とにかく”笑える”この日一番の ”かわいい”だった。
しかし、それにしても・・・足の無い河豚が相撲か…? しかも相手が蛙…?
府中美術館の解説では、『毒のある河豚と毒のある蟇蛙、どちらも毒のあるもの同士が相撲を取っている。』と、いうようなものだった。
毒対決なら河豚とマムシの方がピッタシじゃないかな。なぜ蛙なのか…?
どうも、美術館の解説では物足りない…。 歯切れが悪いな…。 最悪の解説じゃないの…。
まず、整理しよう。
1.河豚とは何か?
@1790年代寛政の時代に河豚を食べたか…。食べたかもしれないし、食べなかったかも…、食文化の発達した江戸時代、しかも若冲なら食べたかな…。
A河豚は不具合の”不具”に通じる。だからあえて、福(ふく)と言った。
B足の無い河豚⇒足は、御足=お金・・・お金が無いってこと?
C河豚は毒があって、扱いにくい者か…。 運悪く河豚の毒にあたると死ぬ。
Dふぐは、武具に通じるか…?
E岡に上ると、すぐにぷくっと膨れる。張子の魚? ・・・これらは誰のことか?
2.蛙とは何か?
@蛙の毒? ガマ蛙なら少し毒あり、でも河豚ほどではない?
Aかはず・・・かわず・・・買わず⇒売る人・・・商人か?
B蛙は、いつも地面を這いつくばっている。また、いつもぺこぺこ平身低頭ってこと? ・・・これは誰のことか?
3.海のものと陸のものとの戦いって何?
別世界同士の戦い? 有り得ない戦い? …本当は誰と誰の戦いか?
それでは、・・・
から威張りの"張り子の河豚”と、いつも地面に”這いつくばった蛙”とが、いざ相撲を取ったらどうなるの?
これは、”武士”を”河豚”に見立てて、”町人(若冲)”を”蛙”に見立てている。
伊藤若冲は、1716年〜1800年(享保元年〜寛政12年) 京都は、高倉錦小路の青物問屋の子として生まれている。23歳で父の死により、家業を継ぎ、絵は、狩野派に学んでいる。蛙の子は蛙、河豚の子は河豚と決まっていた時代だった。小さいころより、身分制度の不条理や、町人の悲哀をいやというほど知り尽くしてるってこと。
つまり、
『俺あ、張り子の河豚になんぞ、負けねえぞ!』(京言葉に変換して下さい)
蛙は、力いっぱい踏ん張って、次の瞬間、河豚を ”えいっ” と、投げ捨てるのであった。・・・そんな伊藤若冲の心意気が伝わってくるではないか。
とはいうものの武士を完全否定しているわけでも無いようだ。
ちょっぴり批判もするが、「天下泰平」への感謝も忘れていない。哀愁たっぷりで、思わずニタリ、(いいもの見せてもらった!)一服の清涼剤的作品だった。
・・・私はこれが『河豚と蛙の相撲図』の本当の意味だと理解したのだが…。(漢文の中に、確か四海安堵(=天下安泰)の文字があったような・・・この漢文をもう一度確認したいのだが・・・。)
この漢文は、「たくましい腕力で戦っているが、争いが止むのはいつの日か。己に勝ち私利私欲から解放され、礼に復するなら天下は安堵」・・・見つけた。
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