縄目なき縛り・・・空縛り(からしばり)
「川中島の戦い」外伝
これは戦国時代、上杉謙信と武田信玄が、信州川中島で対陣した時のお話です。
上杉謙信は妻女山に陣を構え、武田信玄は妻女山から一里の先の海津城に立て籠もって、両軍一ヶ月近くもにらみ合っておりました。その後有名な「川中島の戦い」という大合戦となるのですが、これはその前の両軍がにらみ合っていた頃のお話です。
上杉軍の猛将 柿崎影家の家臣に山之上新右衛門という、馬術が得意で勇猛な武士がおりました。ところが、対陣中に新右衛門の馬が病気で死んでしまうのでした。馬がなくては、いざ合戦という時に十分な働きができません。困り果てた新右衛門は、妻女山の中腹の松の根方に腰をおろし、目の前の海津城を眺めながら ”・・・どうしたものか・・・”と途方にくれるのでした。
「あ〜、馬を死なせて主君に対して不義不忠の身となった、困ったのう。
・・・そうだ! 甲州は馬の産地。武田軍の陣地にもぐり込んで、馬を一頭頂いてまいろう。
敵方の馬なれば、盗んだとて、とがめられるどころか、殿様にも誉められよう。」と、妙案が浮かぶのでした。
さっそくその日の深夜、空には月も星も見えず、頃合いは良し。鎧を脱いで百姓姿に変装すると、刀をムシロで巻いてお供の茂助を一人連れ、物見と称して味方の陣地を抜け出し、海津城に向うのでした。
武田方は二万の大軍、海津城のような小さな城には全軍は入りきらず、城の周りは溢れた兵がおのおの陣地を構えていたのでした。遠くに見えるかがり火が良き目印となり、海津城に一目散。
敵方の陣地の近くにたどり着くと茂助に向ってこう言うのでした。
「わしはこれから、一人で敵陣に潜り込み馬を盗んでまいる。お前は明け方まで、ここでわしの帰りを待て。 万一わしが戻らなかったら、妻女山に戻り侍大将の柿崎様に事の次第を申し上げよ。無断で陣中から消えたままでは・・臆病風に吹かれて逃げ出したと思われては、郷里の親兄弟親類縁者にまで災いが及び申し訳ない。もしもの時は・・・山之上新右衛門は馬を失い、代わりの馬を探しに敵陣に推参したが、武運つたなく討ち取られました・・・と申せ。お前はそれの生き証人となるのじゃ、良いな。」
その後、新右衛門は見張りの兵を巧みにかわすと、一つの陣地にもぐり込んだのでした。やがて馬の嘶(いななき)や匂いから馬小屋はすぐに見つかるのでした。敵陣では、まさか馬盗人が陣中に潜り込んでいようなどどは夢にも思っておりません。馬小屋の周りは、まったくの無防備状態、馬の番人などおるはずもなかったのでした。
ちょうど手頃な馬が一頭「どうぞ、盗んでください。」と言わんばかりに目の前で寝ていたのでした。馬の扱いは手馴れたもの、そっと馬を起こすと嘶(いななき)を防ぐために口に枚(ばい)を咬ませて、首に荒縄を巻きつけるとそっと連れ出すのでした。
ここまでは上手くいったのでしたが後一歩。敵陣からようやく抜け出せるというところで、馬が鳴子の紐に絡んで動けなくなってしまうのでした。
ガラ・ガラ・ガラ・ガラ
「なんだ、なんだ・・・!」と雑兵たちが起き出して、槍や刀を抜いて松明を持って四方から迫って来たのです。
「しまった! あと一歩のところで」咄嗟に馬の腹の下に隠れるのでしたが・・・。
「やや、馬が逃げたのか・・・いや馬の口に枚(ばい)が咬ませてあるぞ! 人がおるな何者だ!」
とうとう、新右衛門は見つかってしまうのですが、
その時、ただならぬ気配に馬が突然暴れだし、新右衛門は馬に蹴られて気絶してしまうのでした。
新右衛門が目をさますと、両手を縛られて、敵の侍大将の前に引き出されたのでした。
さっそく侍大将は、声高に尋ねるのです。
「妻女山の様子はどうであるか。話の内容によっては、助けてやってもよいぞ。」
新右衛門は堂々とこう言い放つのであった。
「お戯れを・・・、上杉軍の侍が武田軍の陣所で話すことなど何がござろうか。」
「そうであるなら分っておるな! 我が甲斐の国では馬盗人は死罪である。覚悟いたせ! 処刑は、明朝といたす。」
その時、敵陣の中に、新右衛門の幼なじみの谷川五郎兵衛がいたのでした。
「お主は、新右衛門。山之上新右衛門ではないか。この者は、それがしと同郷の幼なじみで名のある武士でござる。これもなにかの縁でござろう。武士の情け最後の夜をそれがしにお預け頂けませぬか。」と申し出るのでした。
この谷川五郎兵衛、よほど陣中でも信頼されておるのか、侍大将はあっさりとその身を五郎兵衛に預けるのでした。
「新右衛門、なつかしいなあ・・・何年ぶりでござろうか。わしが預ったからには、安心いたせ、縄目を解いて進ぜよう、自由に致せ。 よくまあ敵陣に一人で潜り込んだものよ。今夜は、ゆるりと昔話でもしようぞ。陣中ゆえろくなものはないが、僅かな酒と干飯、干し柿もあるぞ・・・どうじゃ・・・それから今後のことは諦めよ。生きるも死ぬるも、一時の差。身分の上下も富貴の差も同じ仮寝の夢の宿じゃ・・・まあ飲め!」
と、のん気なもので、昔話をはじめたのでした。新右衛門も適当にあいづちを打っていたが、内心こう思うのでした。
(五郎兵衛に会えたのはうれしいが、困ったことになった。死罪と言われても、わしは、まだ諦めてはおらんのじゃ・・・。
なぜお主は、”預る”などと、言ったのじゃ・・・、おかげでわしは逃げるに逃げられなくなったではないか。ここで、五郎兵衛をねじ伏せて逃げ出せば、五郎兵衛の落ち度となりその身に災いが起きよう。まだ、繩でしばられて木にでも吊るされていた方が自由で、ましではないか。)
そうこうしている内に、五郎兵衛は酒がまわったのかぐう〜ぐう〜と高いびきで寝込んでしまうのでした。
「五郎兵衛! なんの策略じゃ、わしに逃げろとでも言っておるのか・・・。
このまま逃げれば五郎兵衛に対して義がたたず、さらに旧知の友を裏切ったとなれば上杉軍の恥となり名折れともなるではないか。 困ったのう・・・進退ここにきわまれりか・・・。」
空には、一点の星も無く。ただ闇の中から聞こえるのは、ホーホーと、梟の寂しげな鳴き声だけでありました。
「ええい・・・どうとでもなれ! わしも寝よう」と新右衛門もぐう〜ぐう〜と高いびきで寝込んでしまうのでした。
やがて夜も明け木漏れ日のまぶしさの中、目をさますのでした。
すべてが夢であったらと目をしばたかせるのでしたが、どう見てもここは妻女山の陣中とは違うのでした。
(本日が今生の別れの日か・・・たしか9月9日 重陽の節句であったか・・・)
ところが、そろそろ処刑の時刻とおもいきや、陣中なにやらあわただしく、朝から五郎兵衛の姿も見えず。皆々炊事をし、食事をし、なにやらザワザワとあわただしくその後、幔幕をたたみ、なんと陣地をかたずけ始めたのでした。
そこへようやく五郎兵衛が現れると、昨夜と変わって堅い表情で、
「くわしくは言えぬがなにやら、陣替えのようである・・・。」
そこへ屈強な足軽が四人現れると、そのうちの一人が、
「御大将の命である、本日深夜、出陣の前祝いにお主の処刑が決まった。逃げられぬように繩で縛って見張っておれとの命である。」
と、言うなり新右衛門を縛り上げ松の枝に高々と吊るしたのでした。そして足軽四人が松の根方をぐるりと取り囲んだのでした。
(やれやれ、やっと縛ってくれたか・・・なにやら”ほっと”致したな。 さて、今夜武田軍が動くのか、ここからは、妻女山が良く見えるのう。・・・なんとか上杉軍に知らせる手立てはないものか・・・・。 それにしても不思議なものじゃ・・・
繩を解かれた時は、義という空縛りに縛られて逃れられず、反対にいざ繩を打たれると、空縛りから解き放たれて、なんとか逃げたい・・・と、思うとは・・・今なら逃げても五郎兵衛に迷惑はかかるまい・・・何かよい手立てはないものか・・・)
一時ほどして、新右衛門は足軽に向って弱々しく尋ねるのでした。
「ところで、今夜出陣とか言っておったが、どこを攻めるのじゃ?」
「わっはっは、こやつとうとう処刑の恐怖で頭がおかしくなったと見える・・・言わずとしれた妻女山よ。武田軍を二隊に分け、我ら一隊をもって妻女山を裏側から奇襲するのよ。 あっ!」と口をつぐんだのでした。
(ほう・・・これは何としても抜け出さねば、お味方が危うい!)
昼もすぎた頃、目の前にある熊笹の藪の中から、ザワザワ・・・なにやら人の気配が・・・
(おっ、茂助、茂助ではないか・・・何をしておるのじゃ、妻女山へ帰らなかったのか・・・おい! 顔を出すな、 にやにやするな・・・! わかった・・・わかった・・・そこに隠れておれ!)
目と目で茂助に合図をすると、そこは長年の主従の身、茂助も承知と熊笹の中に隠れたのでした。
やがて一日も終わり日も落ちようか・・・という頃・・・
「おい、お主ら朝から一日ご苦労なことよ。このように荒縄で縛られ松の枝につるされた者は、魔物でもないかぎり逃れる手段などあるものか、すこし休んだらどうじゃ・・・これから戦であろう・・・身が持たぬぞ! 生き残りたくば、戦の前は少しでも休むことだ・・・。」
と、茂助にも聞こえるように足軽たちに話かけるのでした。
「なるほど、それもそうじゃな・・・この者の処刑には、まだ時がある。出陣は深夜、今のうちに少し休むとしようぞ・・・」
と四人は固まって、うつらうつら・・・となるのでした。
すると頃合いはよし、茂助はするすると松の木に登ると繩を切ったのでした。
それから、新右衛門と茂助は、妻女山に向って一目散に駆けるのでした。
もちろん、馬よりも早く・・・途中走りながら・・・
「茂助、なぜ帰らなかった! ばか者が!」
「申し訳ござりませぬ、夜が明けると、だんな様と別れたところはまさしく敵陣の中、動くに動けなかったのでござる! 今朝方、松ノ木に吊るされただんな様を見つけた時は、まさしく天にも昇る気持ちでございました。」
「わっはっは、茂助でかした!!」
妻女山にたどり着くと、顔をくしゃくしゃにして叫ぶのでした・・・
「ご注進! 本日深夜・・・海津城が・・・動きまするぞ〜!」
(後書き)
自由なようで自由ではないのが、今も昔も人の常。空縛りとは・・・わが身を振り返れば、会社に家族に、・・・に”がんじがらめ”の自分が見える。・・・縄目なき縛り・・・空縛り(からしばり)・・・か?
つらつら思うに、何か・・・むしろ得体の知れない ”しがらみ”に雁字搦めに縛られていた方が気が楽ということかもね・・・?!
そしていつか起死回生の光明が・・・と、信じるしかないか・・・
(もちろん・・・ あの時、さらに、”天にも昇る気持ち”だったのは・・・、
”本当は誰だった?” のかは、分かりますよね・・・。)
もしかすると、次回に続くかもしれない・・・?
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