●坂本龍馬暗殺の犯人は誰3●
○○○○○○○○
ズバリ!!犯人の検証
(5)それでは誰????
薩摩しかいないのではないか!!!
@当時、薩摩は、武力倒幕により、徳川の力を完全に排除して、"薩摩"中心の新政府を作ることが、目的だった。
そこで、かつての親友とはいっても、龍馬の動きが"じゃま"となった。しょせん、龍馬は、土佐人、薩摩人ではない。
又、薩摩から見れば、「裏切り者」。と、思えば、間違いなく、殺るだろう。
A当時の薩摩は、目的の為には、手段を選ばない。幕府を挑発する目的で、江戸で、押し込み強盗や放火迄
している。
しかし、そうだとするなら、鞘や下駄を落とし、
新選組に罪をかぶせようとしたり、その後の行動が、お芝居なのかと思うと、
ここまでやるか・・・と、少々、うんざりだ。
Bもし、薩摩なら、刺客は、中村半次郎
(通称、人切り半次郎)しかいない。
中村は、薩摩示現流の達人で、「屋根のひさしから、雨だれが落ちる間に抜刀を3回して、
鞘に納めた。」という逸話の持ち主だ。
実は、暗殺の5日前の11月10日中村半次郎の在京日記に「山田・竹之内両氏同行散歩のところ、
途中にて土州士坂本龍馬と逢う」との記録があるのも気になる。
又、当時、新撰組の近藤は、「薩摩の中村だけは、相手にするな。」
と言ったと伝えられている。又、犯人が、中村
なら、背後にいるのは、西郷隆盛だ。間違いない。
Cそれでは、西郷はいつ暗殺を考えたのか
又、動機は何か?
実は、暗殺の10日前の11月5日 龍馬は、
西郷や岩倉と会っている。
この時、龍馬は、慶喜が盟主となった新政府の役職名簿案を西郷に、見せたのである。
西郷は、その名簿案を見て、ある質問を龍馬にするのである。
「坂本さあ、この名簿には、おまんの名まえが落ちちょりもすど〜?」
すると龍馬は、
「わしは、窮屈な役人になるのは、性に合わんけに、そうじゃのう〜、
世界の海援隊でもやりますかいの〜」
西郷は、感情を決して、表に表さないが、この時、西郷は、龍馬の底知れぬ大きさを知ったのである。
それは、自分と異質の人間、しかも、その大きさに対する、ジェラシーであったのかも知れない。
それは、やがて、「許せない」という思いと、この男がいては、この先、薩摩の思うとおりにはいかない。
という「あせり」に変わるのである。
西郷にしてみれば、武力倒幕により、
徳川の勢力を完全に排除して、薩摩中心の新政府を作りたい。徳川に代わって、天下をとるのは、薩摩だ(薩長ではない)という
考えだった。いわば、これが、西郷の限界、改革とは逆の古い体質から抜けきれない、
新旧2つの顔を持つ"矛盾の西郷"の本質なのだ。
そこで、西郷は、龍馬暗殺及び、あるメッセージをある人に伝える作戦に出るのである。
Dあるメッセージとは何か。もちろんそれは、「慶喜を盟主とする新政府を目指して、動く者は、止めろ、動くな」といメッセッージ
である。実は、殺人現場に、このメッセージが残されているのである。それは、「朱色の鞘(蝋色の鞘との説もある)と瓢箪の下駄」である。
ここでは、「蝋色の鞘と瓢箪の下駄」で考えたみたい。ローマ字で書くと、R
OSA
YA GETA
HYOUTAN
で、これを並び変えると、SAGETARAUTAN=さげたらうたん=下げたら討たん=取り下げたら討たない=
"慶喜盟主案を取り下げたら、討たない"。
という、脅迫文のはんじものとなるのだ。
Eこのメッセージは誰に伝えたかったのか
それは、松平春嶽に、・・・である。
鳥羽伏見の戦いで、幕府軍が敗走した時に、
松平春嶽が、「憤懣やるかたなし。」と日記に綴っている。
春嶽は、誰に対して、憤懣と言ったのだろうか。
某大学の教授が、
「せっかく慶喜を新政府の盟主にしようと、努力していたのに、
それを、台無しにしてしまった。幕府軍の行動に対して憤懣と言ったのだ。」と、言っていた。
そうだろうか、私は、龍馬暗殺の犯人が薩摩だと、春嶽は感じていたと思う。
龍馬暗殺の目的が、
慶喜を新政府の盟主にしようと動く、山内容堂や、松平春嶽に対しての"見せしめの意味"=
「動くな、もうやめろ!」というメッセージがあった。
春嶽は、それを感じていた。そして最後に
"偽の錦旗"を掲げたり、
"目的の為には手段を選ばない"
そんな薩摩に対して、龍馬暗殺は薩摩だ、と確信し、万感の思いを込めて"憤懣"と、
日記に綴ったのではないかと考えている。
これを機に、春嶽は、政治の世界から去るのである。その真意は、すべて春嶽の胸の内に・・・如何に??
とりあえず、完
前のページに戻る
歴史の謎解きメニューに戻る