●◎だから、歴史はおもしろい○×
起
無限の時の流れのなかに「紀元」という一線のスタートラインを引くことで、
その前後の距離によって時間の位置を示し、アナログ時計のように目測することができる。
又、これによって、
過去の事件を順を追って整理し記録することができる。
前者は暦に関連し、後者は歴史に関連する。
しかし、暦はただの”ものさし”にすぎないが、歴史は、ただの年表ファイルではない。
過ぎ去った歴史の真実を知ることは、たいへん困難である。
なぜなら、勝者側と敗者側・2つの歴史が存在するのと、常に勝者は敗者の歴史を破壊してきたからである。
ゆえに、必ずしも、勝者の残した証拠資料が正しいとは限らない。
それにより、歴史は、遠慮深く、慎み深く、時には魅惑の微笑みを湛えた”神秘のレディー”
に変身し、その真実は、深い謎のベールに包まれるのである。
そして、その要因は、歴史は人間が作ったものであり、人間の深層心理は複雑怪奇だからでもある。
この人間の心理のベールを解き放ち、歴史の謎を想像し解き明かすのは、
最高に面白く興味のつきないものである。
さらに、歴史には、人によって解釈の違いがある。つまり、正解がない、又は、何が正解か分からない。
この「分からない」が歴史の世界では、”あたりまえ”普通のことなのだ。
つまり、百人の歴史家がいれば、百通りの歴史感が存在する。そこに、自分だけの答えが入り込む余地があるのだ。
また、大学教授の資料の積み重ねによる意見が正しいとは限らない。名もなき歴史研究家の直感こそ、真実に近いのかもしれない。
だから、歴史はおもしろい。
歴史の謎を解くことは、数学の真理を発見することと似ている。・・・らしい
承
たとえば、「1から10迄の整数を順に足していくと、合計は幾つになるか。」
という問題があるとしよう。もちろん順番に足していけば答えは、誰にでも筆算で計算できる。
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10=55
しかし、「1から10迄」が「1から100迄」だったら、さらに「1から1,000迄」
だったら、さらに「1から10,000迄」だったら、さらに「1から100,000迄」だったら、さらに・・・・・・
1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17+18+19+20・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・+99,997+99,998+99,999+100,000=
もう、この答えを筆算で計算することは、不可能である。
ところが、あることに、気がつけば、誰にでも簡単に計算できるのである。
わかり易く、「1から10迄」で考えてみよう。
とりあえず、10を遠くに除けておいて、(この意味は後で分かる)
1から
9
迄の数字を並べてみると、あることに気がつく・・・
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10
1から9迄
ならんだ、真ん中に5
があることに、注目してみよう。・・・・・真ん中って何????
真ん中って
・・・・・平均
だよね。このことに、気がつけば、答えは簡単だ。
(10を除けておいた意味は、奇数の並びにして、真ん中を見つける為と、
後で計算しやすいように・・・もちろん 1 を除けてもよいのだが、やってみると分かる。)
1から9迄
の合計は・・・・
平均=SUM(1:9)÷9=5・・・・5×9=SUM(1:9)=45
ここで、遠くに退けておいた10を元にもどすと、
SUM(1:10)=5×9+10=55
つまり、「1から10迄の合計」は55ということになる。
つぎに、「1から10,000迄の合計」は、・・・とりあえず、10,000を遠くに退けておいて、
平均=SUM(1:9,999)÷9,999=5,000・・・・5,000×9,999=SUM(1:9,999)=49,995,000
ここで、遠くに退けておいた10,000を元にもどすと、
SUM(1:10,000)=49,995,000+10,000=50,005,000
つまり、「1から10,000迄の合計」は50,005,000ということになる。
つまり、平均
の発見が、この問題を解くカギだったのだ。
歴史の発見って、たぶん、こんな発見をした時に似ている・・・らしい。
転
昔、小学5年生の時の社会の授業で、先生が、邪馬台国の話をした。
教科書には、魏志倭人伝の資料があり、九州説と近畿説の2つの説があると書いてあった。
おもむろに、先生は、次のような質問したのだった。
「皆さんは、邪馬台国は、どこにあったと思いますか。」
「は〜い!」
と、私は元気に、手を挙げたのでした。
「はい、平○君!」
「邪馬台国は、九州だと思います。」
「ほ〜う!? どうして九州だと思うのですか?」
「だって、・・・教科書に書いてあります。」
「えっ? 教科書のどこに書いてあるの・・・?」
「教科書の・・・ここに、・・・邪馬台国は、島国にして国をなす・・・
と書いてあります。
魏の国が、邪馬台国を島国だと知っていたということは、近畿地方ではありません。
当時、飛行機の無い時代、乗り物は、船でした。
もし、近畿地方に邪馬台国があったのなら、船は遠く青森の方まで行って、津軽海峡を通って、ぐるっと本州を一廻りしなければ、
邪馬台国が島国だとは分かりません。これは大変困難なことです。
もし、邪馬台国が九州なら、船で一廻りするのは、簡単です。・・・だから、邪馬台国は九州です。」
「ほ〜う!」
パチ、パチ、パチ・・・・・・
結
・・・だから、私はあの時以来、邪馬台国は、九州説なのです。
・・・素人の直感??
(数学の参考文献)新潮社「博士の愛した数式」小川洋子・・・この本面白いので、ちょっと引用しました。
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