●里村紹巴とは何者か?●
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(1)里村紹巴(さとむらじょうは)とは何者か?
大永5年(1525年) 〜 慶長7年4月14日(1602年)77歳没
戦国時代の連歌師
奈良の生れ。里村姓は後世の呼称であり、本姓は松井氏ともいわれる。
和歌・古典を三条西公条に、連歌を周桂(しゅうけい)に学び、周桂の死後里村昌休(しょうきゅう)につき、里村家を継いだ。
連歌界の第一人者として三好長慶・細川幽斎・明智光秀・豊臣秀吉ら多くの人々と親交があった。
門下に松永貞徳がいる。『連歌至宝抄』等の編著がある
状況証拠はあるが、確たる実証もないのに、里村紹巴を、本能寺の変の密告者とするのは、たいへん申し訳ない。
しかし、本能寺の変を研究する上で、里村紹巴の研究は、ポイントとしては、正しいと思っている。
里村紹巴は、天正10年の本能寺の変当時、朝廷側の公卿や、明智光秀、細川幽斎などとの親交が深かった。
連歌の会や茶の湯などを通じて、
信長、光秀など信長の家臣、朝廷側の公卿などの、両者の情報通であったことは、間違いない。
5月28日の愛宕山での連歌の会以前から、
光秀と信長との感情の行き違いの経緯や、光秀のぐちを聞いたり、相談役であったり、そんな中から、早くに、光秀の信長に対する反逆を
察知できる立場にあったとしても不思議ではない。
又、もしかすると、光秀との親交の中で、光秀を反逆に誘い込んだり、
誘導したり、追い込んだりした影の人物だったらどうだろうか?
さらには、遠く離れてはいるが、秀吉とも、つながっていたら・・・・。
歴史の真実は大きく書き換えられるかもしれない。
と、思うのだが・・・・。今後の研究課題である。
ところで、紹巴と聞いて、何か思い浮かばないだろうか?
紹巴⇒じょうは⇒しょうば⇒(逆にすると)ばしょう⇒芭蕉⇒松尾芭蕉となる。
松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、江戸時代前期・元禄時代の俳諧師。
寛永21年(1644年)の生まれなので、紹巴と出会うことはなかった。
しかし、名前の芭蕉は、植物の芭蕉だけでなく、紹巴を意識してつけられたのではないか?
松尾 芭蕉は、伊賀忍者だったという説がある。だいたい、能・連歌・俳諧などの芸事と、忍者・隠密の係わり合いの歴史は長い。
古くは、世阿弥、観阿弥も忍者の基となった、傀儡子(くぐつし)の流れだった。とする説は多い。
紹巴は奈良の生まれとの説もあるが、奈良なら伊賀・甲賀とも近い、それに、当時、はじめから伊賀生まれと言う人はいないよ。
忍者か・・・・・・・・・???
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