●坂本龍馬暗殺の犯人は誰2●
犯人の検証
それでは、容疑者を一人づつ検証してみたい。
(1)京都見廻組説の検証
@今井信夫の自供は、何だったのか。
売名行為説がある。私は、函館戦争の直後の戦犯容疑の取調べ中であり、
自暴自虐的になっていて、例えば、「龍馬暗殺は、お前だろう!!」と言われれば、
売り言葉に買い言葉で「そうだ、それがどうした。」位のやり取りから、
"でっち上げ"られたのではないか。と考える。
釈放後、今井は、「蝦夷の夢」(函館戦争の記録)や「北国戦争概略衝鋒隊(しょうほうたい)之記」を著し、
晩年は、静岡で農民となり、キリスト教の牧師となって78歳で没した。その間、真実を語る機会はいくらもあったが、
自供?は只の一度だけであり、どうも怪しい。
A見廻組は、旗本の次男、三男で作られた幕府直轄のエリート組織で、
新選組とは、格が違う。
実は、見廻組は、京都では、蛤御門の変以外ほとんど活躍していない。
なぜなら、官僚体質で、
「自分たちは、責任を取らない=やる時は、誰かにやらせる
=自分たちは、何もしないほうが良い」という考え方で、まず、
上からの明確な指示、命令がない限り動かない。ましてや、
一部の者の暴発や単独行動による暗殺など、ありえない。
(2)新撰組説の検証
@見廻組よりは、新撰組の可能性の方が高い。暗殺は得意中の得意だ。
但し、新撰組なら内部抗争ではないのだから、やるなら、"誠"
の旗をたなびかせ、"だんだら模様の羽織"を着て、
「新撰組がやりました!」と、
もっと堂々とやるのではないか。秘密にする意味が分からない。
A11月15日前後の新撰組は、伊藤一派との内部抗争で、
手一杯というのが現実であった。
18日に伊藤一派の暗殺を決行しており、15日は、その根回しの為に、近藤が
会津藩の山本覚馬(大河ドラマ・山本八重の兄)と会食したと記録があり、一度に2つの異質な暗殺計画など、
無理ではないか。
B新撰組なら、間違っても刀の鞘を
忘れたりはしない。それこそ、"士道不行き届き"で、切腹ものだ。
C伊予松山出身の原田左之助の犯行説は、まず原田は、本来天然理心流ではなく、種田流槍術の使い手である。
もし、原田なら槍を使ったであろう。
Dそれでも、新撰組というなら、天然理心流の得意技は、"突き"であるので、初太刀は突きである。
京都の家屋は、天井が低く、刀を振り回すには、適していない。
刀でも槍でも、室内は、"突き"が向いている。
新撰組の者なら、常識だ。
(3)伊藤甲子太郎の高台寺党説の検証
浅田次郎の小説「壬生義士伝」は、面白かった。
新選組を離れ薩摩に近づきたい伊藤の信頼確保の為、龍馬を暗殺する。
その実行者として、
新撰組の間者(スパイ)として、高台寺党に潜り込んだ斎藤一が、選ばれる。
斎藤も又、自らの信頼維持の為、やむなく近江屋に向かう。
小説では、斎藤は居合の達人で左利き。刀を右手に持ち、部屋へ入る。
龍馬を安心させたところで、突然、左手で刀を横に抜き払う。
・・・という話だが・・・左利きは有り得ないが、このストーリーは、ちょっと面白い。
もし、高台寺党が犯人とするなら、
メンバーの中で暗殺の経験があるのは、斎藤一と
藤堂平助の2人いる。
暗殺の5日前に、龍馬に会いに行ったのも、"謎"だ。ちょっと気になる存在ではある。
@但し、高台寺党は、新選組の他の間者にもマークされており、
もし、そうなら早くから話がでるだろう。
又、濡れ衣を着せられた新選組の原田は、
斎藤や永倉の親友でもあり、明治迄生き残った
斎藤や永倉が、黙っているのはなぜだろう。
斎藤や永倉も、まったく分からないということなのか?・・・。
A伊藤甲子太郎は、学者タイプのインテリ。
龍馬暗殺の3日後に、
近藤にまんまと誘き出されて酒を飲まされ、帰り道の油小路で自分が暗殺される。
という甘い人間に、龍馬暗殺の発想があるかどうか・・・・??
ちょっと、動機も弱い気がするが・・・・。それでは、誰????
(4)ここで、再度、全体の検証・当時龍馬を敵視したのは誰か?
@龍馬は誰にとっての敵
なのか? 又は、"じゃま"な存在であったかを考えてみたい。
龍馬は、薩長同盟成立の立役者
で、幕府の敵と思われがちである。
ところが、慶応3年10月〜11月当時、龍馬は、
薩長の武力倒幕に反対で、
徳川慶喜を新政府の盟主
として向え入れようと、東奔西走していた。
従って、当時龍馬は、幕府側にとって、
幕府と薩長の橋渡しのできる唯一の人物として、
重要な人物であり、けして幕府側の敵ではなかった。
むしろ薩長にとって、目の前をうろうろ何か変なことをしている"じゃま"な存在であった。
A従って、見廻組や新鮮組などの幕府側の組織に、
龍馬暗殺のメリットはない。
そうは言っても、見廻組や新選組といった下部組織の集団に迄、最近の龍馬の行動を理解し、
"味方"という認識があったか??という疑問は、確かにある。
相変わらず、昔の"不逞浪士"という認識だったかもしれない。
B犯行はみごとな手並みである。
(もし、新撰組なら寄ってたかっての謀殺であろう。)犯人は只者ではない。
かつて、龍馬を捕縛しようと伏見奉行所が動いた時、寺田屋に
約百人の捕り方を繰り出して、逃げられている。
今回の犯人は、少人数による一撃必殺の暗殺が、当初からの目的だった。
しかし、龍馬は北辰一刀流の免許皆伝で、
ピストルも持っており、修羅場の経験も何度かある。
犯人は、「人切り」が初めてではない剣の達人が必須の条件である。
さらに、居合の達人なら、なお適任である。
居合いは、自分の身に巻きつくように刀を扱う技である。
従って、自分の体が入れば、どんな狭い部屋でも刀を使える。
C現場に置き忘れた、鞘や下駄は、よほど気が動転したか、犯人の捜査を混乱させる為、
又は、誰かを犯人にする為に、わざと置いて来た。・・・かのどれかである。
Dこの暗殺には、意味がある。誰かが、
誰かに対するメッセージが込められている。
又、このメッセージは、皆に分かる必要はない。
伝えたい人にだけ分かればいい。この議論がなされていない。
さあ、皆さんは、私の言いたいこと分かったかな〜!!
皆さんも推理して下さいね!!
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次回へつづく・但し、今日は、見ちゃダメ!
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