◎陰陽・五行説の意味と不思議2◎




陰陽・五行説の意味と不思議

 陰陽とは、「陰」と「陽」の相反する二つの「気」によって成り立っており、 この二つの気の働きによって、身の周りに起こる様々な事象を 理解しようとするもので、陽の気が高まると、今度は少しずつ陰の気が顔を出し始め、 陰の気が高まると今度は少しずつ陽の気を出し始めるというように、 専門的に言うと「陽極まれば陰となし、陰極まれば陽となす」と表現します。
 陰と陽が相互に消長することによって循環し 互いに働きあうことによって新しい発展を生みだすというようなことらしいです。
 五行とは 自然界すべてを「木 火 土 金 水」 の5つの性質に分けて置き換え、 五行相生(ごぎょうそうせい)と五行相剋(ごぎょうそうこく)の組み合わせによって宇宙の万物は 生々流転・変化しているとする・・・考え方のようです。
 簡単に言うと、木が燃えて火になり、灰となって土になり、固まって金となり、その所から水が生じるということです。 以上が五行の「比和・相剋・相生」の成り立ちである。 五行は森羅万象に普遍する要素とし、これを一切に配当するということらしいが、今ひとつよく分かりません。 この陰陽・五行説あたりが、光秀分析のさらなる鍵ではないかと思われるのですが、 今のところ残念ながら、勉強不足です、そのうち内容を追加します。

 少し分かった事を追加すると、五行に関連して他に、次のようなものがあります。 注・・・○は、PCに漢字等が無くて、表示できませんでした。

五行配当表

五行・・・・木       火       土        金        水
五色・・・・青       赤       黄        白        黒
五方・・・・東       南       中央       西        北
五時・・・・春       夏       土用       秋        冬
五事・・・・貌       視       思        言        聴
五音・・・・呼       笑       歌        哭        呻
五臓・・・・肝       心       脾        肺        腎
五常・・・・仁       礼       信        義        智
五蟲・・・・鱗       羽       ○        毛        介
五味・・・・酸       苦       甘        辛        鹹
五臭・・・・羶       焦       香        腥        朽
五声・・・・角       徴       宮        商        羽
十干・・・・甲乙      丙丁      戊己       庚辛       壬癸
十二支・・寅・卯・辰  巳・午・未   辰・未・戌・丑  申・酉・戌  亥・子・丑
易卦・・・・震○        離○                兌○        坎○
月・・・旧一・二・三月 四・五・六月        七・八・九月 十・十一・十二月
五行配当表の見方・・・・まず、五行欄を横に「木火土金水」と横に順に読み、次に 縦に読むことが重要。縦に読んでいくと、気を同じくするものは、互いに協調関係にあることが納得できるはずです・・・たぶん。

 約三千年前、中国最古の歴史書である書経に・・・・・殷(いん)を倒した周の武王(ぶおう)は、 殷の皇族であった賢人・箕子(きし)に、あえて政治の真髄 を尋ねたのでした。箕子(きし)は答えて曰く、
「水の本性はすべてのものを平準にする処にあるが、聖人・禹(う)は水のこの本性に従って、大洪水を治めた(=治水工事)ので、 地はらぎ、天も天たり得て、 大し、全能を発揮して、 五行も安らかに循環するに至った。
 天帝は、禹(う)の功績を賞賛して、神亀を 洛水(らくすい)から顕現させたのであるが、その神亀の背には、一から九までの数が浮かび上がったので、 禹(う)はこの数に則して、これを”洪範九疇”(こうはんきゅうちゅう)と称した。」

 補足すると、洪範の”洪”は”大”、”範”は”法”の意味であり、つまり”洪範”とは、 ”天地・宇宙の大法”を意味するのである。 この”洪範=天地・宇宙の大法”の第一に挙げられているのが 、他ならぬ”五行”なのである。さらに五行の第一に挙げられているのが、水で、以下、”木・火・土・金”と五つの要素が 生成順に述べられている。
 つまり、換言すれば、禹の治水工事の功績に天帝が感謝して、天地・宇宙の大法が出来上がったということで、 水ほど重要なものは無く、箕子(きし)が周の武王の問いに答えた治世の真髄もまず、治水=”水”にあった。ちなみに、平成の元号は、 この故事の「地らかに天る」が出処の根拠となっている。


 ちなみに、五行循環を戦国武将に当てはめると、織田信長は土徳、 豊臣秀吉は金徳であり、 火生土土生金の順番から言えば、 秀吉の金徳の次は、金生水=水徳ということになる。 水徳に該当するのは、なんとその後の歴史にみるとおり、徳川家康であった。
 なんと、・・・まさしくそれが、徳川とは、 できすぎた話で、金徳の次の水徳ということになったのである。
家康は、この中国古典哲学である陰陽五行説を知っていたのだろうか・・・? つまり、家康が天下を取ったのは、偶然か・・・それとも必然か・・・?



戦国武将と五行配当表との不思議な関係

 もう一度、五行配当表をよく見ていただきたい。何かに気付きませんか???
五行配当表             信長       秀吉      家康
五行・・・・木       火                       
五色・・・・青       赤                       
五方・・・・東       南       中央       西        
五時・・・・春       夏       土用       秋        冬
五事・・・・貌       視       思        言        
五音・・・・呼       笑       歌        哭        呻
五臓・・・・肝       心       脾        肺        腎
五常・・・・仁       礼               義        
五蟲・・・・鱗       羽       ○                介
五味・・・・酸       苦       甘        辛        鹹
五臭・・・・羶       焦       香        腥        朽
五声・・・・角       徴       宮                羽
十干・・・・甲乙      丙丁      戊己       庚辛       壬
十二支・・寅・卯・辰  巳・午・未   ・未・戌・丑  ・酉・戌  亥・子・丑
易卦・・・・震○        離○                兌○        坎○
月・・・旧一・二・三月 四・五・六月        七・八・九月 十・十一・十二月


1.織田信長と五行配当表との一致
◎土は中央をつかさどりて兼ねて西南に位し、長夏に応ず、土の言たること吐なり、 万物を含吐する。まさに生ぜんとするもの出でて、死せんとするものは帰する、 万物の家たり。故に夏の末に長じ、火の生ずる処なり、土或は水に勝つ、水則ち一なるは自然の美なり。 (土は、水に勝つ=だから家康は、律儀に信長に従ったのかも・・・?)

@五行は・・・ 安土城(安土の地名の由来を極楽浄土から名付けたとする説が有力だが、 ”比叡山焼き討ち”の信長には、あり得ない。)
A五色は・・・黄は、中国では皇帝の色で、信長のシンボルカラー・子供の頃は浅黄の着物、 軍旗は、黄色地に木瓜(もっこう)の家紋
B五方は中央・・・信長は、天下布武をスローガンにして、上洛をめざした。 (日本の中央である京の都へ上り、天下に号令することが目標だった)
C五常は・・・父は信秀、自身は、信長、子には信忠と、代々名に信を伝える
D十二支は・・・ 辰(たつ)は改革者=信長のイメージ


2.豊臣秀吉と五行配当表との一致
◎金は西をつかさどり、秋に応ず、金の言は禁にして、陰気初めて万物を禁止して収斂(しゅうれん)し、 沙(すな)を扱いて金を揀(えら)ぶ、土の生む処なり、土より生じて、土とは別なり、則ち自然の形なり。 (金は土より生じる=まさに秀吉は、信長から生まれたのだった・・・!)

@五行は・・・黄金の茶室、慶長大判、金満主義は秀吉のイメージ、 金は禁と言えば、キリシタン禁止令か・・・
A五色は・・・位は関白、白と言えば城・・・と言えば、大阪城
B五方は西・・・天下取りの直前 (本能寺の変の時) 秀吉は西国である 中国で毛利氏と対陣中であった。 但し、その後、天下統一後さらに西の朝鮮出兵迄起こしてしまった。
C五蟲は・・・前述のとうり、天下取りの功労者 毛利氏とは、相性が良かった。
D五声は・・・商人の町=大阪を造った。
E十二支は・・・ 申(さる)は秀吉のイメージ


3.徳川家康と五行配当表との一致
◎水は北をつかさどり、冬に応ず。水の言たること潤なり、陰気濡潤して万物を任養し、 水は西からして東に達する、金の生ずる処なり。水流れて曲折し、順下して達する。則ち自然の性なり。 (確かに、家康は、西から東に達して、江戸に幕府を開くのだった。)

@五行は・・・生国は三。 後に今氏に人質。後に、三、駿、遠の三ヶ国の太守。 関東に移封され、かの地を戸と命名、当時の葦原を開拓、開墾して大都市江戸を作った。 江戸湾に流れていた利根川の改修工事=江戸の治水事業、 何と言っても氏が徳川とは・・・いずれも”水”に縁有り。
A五色は・・・関が原の前、大黒様が夢枕に、 大黒天頭巾兜で関が原に勝利。又、苦労人とは、ちょっと”こじつけ ”?
B五方は・・・死後に、江戸の北方、日光東照宮に祀られる
C五事は・・・聴は”耳偏”を”彳偏”に変えれば、徳川の ”徳”となる。
D五常は・・・最終の天下人 家康は、忍耐、策略と智者のイメージ
E十干は・・・葵の家紋は、草冠に癸(みずのと=みずの弟)、ここでも水に関係。
みずの弟があれば、みずの兄はあるの? みずの兄は・・・みずのえ = みずの兄 = 壬 ・・・十干の九番目・・・家康の兄って誰?・・・ 分かるよね!・・・
(あっ!・・・みつ○○?!) その他、葵の家紋には大変な秘密が・・・






4.明智光秀と五行配当表との不思議
 それでは、明智光秀の五行は、何か?これが最大の問題だ!
@五行は・・・ 水色桔梗の軍旗。(家紋に、色を付けたのは、光秀しかいない。)坂本城より琵琶湖を見渡し、水運を発達させた。又、 何より丹波攻略の為に、周山城や亀山城を築城し、周の武王の善政を目指したことは確かで、 光秀はを意識していた。
A五方は・・・京の北方の丹後、丹波が領地だった。
B五常は・・・ずばり、姓は明智であった。
 明智光秀は、徳川家康と同じく五行は、。本能寺の変の直前の丹波から出雲・石見への国替えの話を思い出して頂きたい。家康の所で触れたとおり、ならば、西から東へ達してこそ運が開くはずだった。光秀にとって西国への国替えは、凶事でありとうてい受け入れられなかった。
 さらに光秀は、名前に水秀を隠していたのだった。 つまり、陰陽五行説の五行循環に従えば、土徳の信長の次は、金徳であり、水徳の光秀や家康は、 初めから信長の天下の次の後継者ではなかった。・・・・光秀や家康は、知っていたのか??
又、次のような、興味深い逸話が残っている。

 織田信長が安土城を建てる時に、天守閣は何層にすべきかと、光秀に尋ねたのでした。光秀曰く、
「天下に号令する城ならば、天守は、五層がよろしいでしょう。 なぜなら、人心にとっての徳である 五常(仁・義・礼・智・信)と森羅万象の根源である 五行(木・火・土・金・水)に ”ちなむ”と存じます。」
「あい分かった!」と、信長も大いに喜び、光秀に天守造営を任せたのでした。 (近年の研究では、安土城は、五層七重の天守閣だったらしい。)

 このことからも、中国の古典にも通じていた光秀の知識から推察すれば、 確実に、このこと(五行循環説 = 光秀は信長の次の天下人ではない)を知っていたはずなのだ。
 それでも、光秀は、本能寺の変を起こしてしまうのである。
いったい、なぜだろうか???

 確実なことは、次の二つである。
@本能寺の変の目的は、政権奪取が目的では無かった。 野望説や天下取説は、絶対に有り得ない。
A五行循環を知っていた光秀は、 信長の次の天下人は誰か・・・秀吉。 その次の天下人は誰か・・・家康を、知っていた。さらに、政権交代は、 の流れるごとく自然で、 天の利を得なければ成らないことを・・・、 つまり、今の自分は、絶対に、天下人には成れないことも・・・・ そして、本能寺の変の後・・・滅亡の道を歩むことも・・・すべて知っていた

 以上、これらの一致点は、ただの偶然だと思いますか???


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